『赤のミスティンキル』 第二部

§ 第四章 竜との戦い

(一)

「風よ!」
 ウィムリーフは右腕で正面の霧を切り裂くように、素早く横になぎ払う。刹那、周囲の大気はすぐさま呼応する。ウィムリーフを中心に大風がびゅうと巻き起こり、あたりの濃霧はたちまちのうちに吹き飛ばされていった。“風の司”の力だ。これで周囲の視界はしばらく確保できそうだ。
 そしてウィムリーフは、真下から迫るものの正体を知った。小柄ではあるが十以上の数はあろうか――
「龍《ドゥール・サウベレーン》ですって?!」
 ウィムリーフは絶望的な叫び声を上げた。龍達が相手ではとても勝ち目などない、と瞬時に悟ったからだ。
【否。竜《ゾアヴァンゲル》どもだ】
 あのような粗野な獣と一緒にするな、とヒュールリットは言った。

 龍《ドゥール・サウベレーン》
 龍達こそは、孤高の種族。炎を司るもの。太古、アリューザ・ガルドの創世時代において、“炎の界《デ・イグ》”からこの世界に姿を現した、神秘の種族だ。その力は地上において比類無く、ディトゥア神族にも匹敵するとまで言われる。それは知性や魔力においても言えることである。

 竜《ゾアヴァンゲル》
 竜達はアリューザ・ガルドに生息する獣達の中で最も強い種族である。が、あくまで獣でしかない。姿形こそ龍に似てはいるが、知性は動物と変わらず、当然言葉を話すこともできない。炎をはき出せるという事においてのみ、龍に似ている(威力は龍と比べたら話にもならない程度だが)。
 まれに人間の住む領域に姿を現して害をなす事もある。彼らを狩る屈強の戦士達は“竜殺し”と賞賛されるのだ。

◆◆◆◆

 最強の獣ではあるが――確かに下方のゾアヴァンゲル達からは知性の欠片すら感じられない。両眼はどう猛そうにぎらぎらと光り、まさしく獲物を前にした獣の瞳そのものだ。
 彼らはこちらを伺い、ぎゃあぎゃあとやかましく啼きながら二度三度と火の玉をはき出して威嚇してくる。しばらくしてこちらに動きがないと分かると、竜達は一列の隊を作り、大きく螺旋を描きながらぐるぐると上昇してきた。ミスティンキル達を囲い込んで身動きをとれなくさせてから狩ろうという魂胆だろう。
【こともあろうに獣め、誇り高き我らドゥール・サウベレーンに火を向けるとはな。報いを知れ!】
 言うなり朱色の龍はウィムリーフを置いて、高く昇っていった。
【我が炎には注意せよ。そしてお前達、“竜殺し”の名前が欲しくば戦え!】
 ヒュールリットの声がウィムリーフの頭に響いてくる。
「言ってくれるわね……。でもこれはどうあがいても、戦わざるを得ない状況のようね。龍達が相手でなかっただけ良かったと考えるべきか……」
 そうひとりごちて、ウィムリーフは冷静であろうと努めるものの、心は恐怖に囚われているのを知る。冷や汗が幾筋も背中を伝う。
 ウィムリーフもミスティンキルも、冒険家どころか旅人としての経験は浅い。旅立つまでは一人の単なる市井の人間でしかなかった。生まれてこの方、あのような猛獣を相手に戦ったことなど無いのだ。

「やるしかないか!」
 ウィムリーフは自身を無理矢理奮い立たせると、強大な風の力をいつでも行使できるように精神を高めていった。目を閉じると、“風の界《ラル》”で風の王エンクィと対峙したときのことを思い出す。そうして、竜を切り刻んでいく風の力のイメージが自分の奥からわき上がってくる。精神を研ぎ澄ませたウィムリーフは目をかっと開け、風の力を衣のようにまとったのを知る。それは今までないほど強力なものだ。
(うん、やれる!! 硬い鱗《うろこ》に覆われた躯を斬るのは無理でも、翼をもぎ取るくらいなら――あたしならやれる!!)
 気分がやや軽くなったウィムリーフは蒼龍アザスタンのところまで戻り、龍の背に座しているミスティンキルに呼びかけた。待っていたと言わんばかりにミスティンキルは彼女のところまで飛んできた。そして恐怖におびえた形相で彼女の両肩をつかんだ。このような表情、普段は決して見ることができないだろう。
「竜だぜ、ウィム。――なあ、あんなの相手に勝てるのかよ?! 見たところ十匹くらいいそうだ。こちとらたいした武器を持ってるわけじゃねえ。……このまま逃げ切っちまえないのか?!」
「ミストお願い、慌てないで。奴らの思うつぼよ」
 自身の焦りを押さえつつウィムリーフは答えた。
「いい? 魔導の継承者。かつて栄えた魔導の中には、屈強な敵を討ち滅ぼす攻撃魔法があったと聞くわ。今のあなたの中にも、その魔導はきっと受け継がれているはず。それを思い出して! あたしたちは武器じゃなくて、魔法でこの場をしのぐのよ!」
(あたしは思い出すことができなかったけどね。なぜだろう)
 ウィムリーフは自身の心にかすかな影が落ちるのを感じた。表には決して出さないが。
「まったく、あんたらしくないじゃない。そりゃあ、あたしだって怖いわよ。でも今は――自分を信じて最善を為すほか無いじゃない! ミスティンキル! あんたに宿っている赤い魔力を信じなさい!!」
 このように、ウィムリーフが叱咤した時――

 上方から下方へと、滝水のような轟音を伴って熱波が走った! 危険を感じ、とっさにミスティンキルは魔法の防壁を発動させていた。
 ヒュールリットが炎を放ったのだ。その威力たるや、さきに竜どもが放った火の玉とは全く比べものにならない。“炎の界《デ・イグ》”からもたらされた炎は鮮やかな紅に彩られ、太い帯状となって竜どもに容赦なく叩きつけられる。たちまちのうちに三匹の竜が劫火に焼かれ、眼下の海へと墜ちていった。
 獣の王たる竜を一撃で倒す。これこそが龍の力だ。ミスティンキル達は言葉も出ない。“炎の界《デ・イグ》”で初めて龍――アザスタンとイリリエン――に出会って以来、ミスティンキル達が龍の力を目の当たりにしたのはこれが初めてだった。聞きしにまさる龍《ドゥール・サウベレーン》の強大さを、まざまざと思い知ったのだ。二人はあらためて畏敬の念を覚えた。竜《ゾアヴァンゲル》に対する恐怖は、今や失せていた。
「こいつは……勝てる、な……」
 ミスティンキルはひとりごちた。
 知らずのうちに、ミスティンキルはウィムリーフにしがみついていた。それともウィムリーフがミスティンキルにしがみついたと言うべきか。
「そうよ! あたし達には龍が二匹もついてくれている。それとあたし達の魔力があれば怖いものなしだわ!」

 ヒュールリットの一撃により、数匹の竜が恐れをなして逃げていった。そのまま行ってくれればいいが、霧に隠れて再び攻撃してくることも考えられる。
 だが間髪入れず、今度はアザスタンが炎を放った。その灼熱の帯はまっすぐ伸び、逃亡する竜どもを直撃した。悲鳴を上げる間もなく竜達は絶命し、墜落していく。

 残った竜は四匹となった。彼らは怒りの声を上げ、ミスティンキル達を囲みこんだ。狙いを龍達ではなくこちらに定めたようだ。
 二人は心を決めた。
「今度はおれ達の出番だな。行くぞウィム!」
「ええ。“竜殺し”の称号を勝ち取るわよ!」
 二人は目を合わせ、即座に離れる。そしてお互い背を向けて、空を舞った。

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(二)

 ミスティンキルとウィムリーフ。二者による戦いが幕を開けた。
 ドゥローム《龍人》とアイバーフィン《翼の民》による天空の戦いだ。

 思い切って先手を打ったのはウィムリーフ。翼を広げた彼女は蝶のごとく空を華麗に舞いながら、襲い来る竜《ゾアヴァンゲル》達が放つ炎をいともたやすく避けてみせる。
 そしてすかさず反撃。
 “風の司”ウィムリーフは周囲の空気を集め、自分の望むままに変貌させた。手まりのような空気の固まりをひとつ形成させると、今まさに攻撃をしようかという竜めがけて投げつけた。目標の竜は歯牙にもかけないそぶりだったが、頭部にそれがふれた瞬間、空気の固まりは忽然と本性を現した。
 ばちん! と大きな音を立てて、それまで圧縮していた空気が爆ぜる。刃のごとく強靱で鋭利な風が幾筋も勢いよく放出され、それらは気を裂く音をひょうひょうと唸らせながら竜を強襲した。
 突拍子もないこの攻撃から離れようと竜はあわてて動くものの、猛威をふるう風の刃は狙いを定めた竜の動きに追随し、容赦なく竜の翼をずたずたに切り裂いていく。やがて竜の片翼がちぎれ飛び、竜は大きく姿勢を崩した。
 竜は大いに激高して野太い唸り声を上げ、やぶれかぶれに炎を放とうとするが、それとてウィムリーフは予期していた。彼女は竜を囲むようにして旋風を幾柱にも渡って巻き起こしたのだ。竜の放った火の玉はことごとく跳ね返され、あろうことか竜自身に襲いかかるのだった。自分の放った炎に身を焼かれ、風の刃に両の翼をもがれ、ついに竜は悲鳴を上げながら海へと墜ちていった。
 こうしてウィムリーフは“竜殺し”の称号を手に入れた。

「さあ、どうしたの! おまえ達の相手はあたしよ!」
 ウィムリーフは腕を組み、大胆不敵に言い放った。
 同時に彼女は猛烈な疾風を巻き起こし、残りの竜達めがけて見舞ってやった。ごうごうとうなりを上げる、荒ぶる風によって竜達は身動きがとれず、ただおのが身を守るのが精一杯だった。そうしてウィムリーフは竜達の間合いを少し開けた。
 ウィムリーフは小さく息をついた。そしてミスティンキルに目配せするのだった。

◆◆◆◆

「あたしはやったよ!」
 ミスティンキルから見たウィムリーフの表情は明らかにそう語っていた。本当は全身で喜びと興奮をはち切れんばかりに表現したいのだろうが、まだ戦いは半ば。優勢とはいっても気を引き締めなければならない。歴戦の強者が命を賭して戦ってきた竜と対峙しているのだから。竜も竜で、大勢がやられたというのに退こうとしない。最強の獣としての意地がそうさせているのだろうか。

 ウィムリーフの見事な戦いぶりをみていたミスティンキルも決意し、動いた。今度は自分の番だ。心臓がばくばくと音を立てているのが分かる。
 まずは竜の注意をウィムリーフからそらさなければ。いかな彼女とて三匹の竜相手に戦うのは無理だ。現に、今し方の攻撃で彼女はずいぶんと消耗している。それはミスティンキルの位置からもうかがえる。
 そのせいだろうか、先ほど追い払っていたはずの濃霧が、また立ちこめはじめているのだ。このままではほどなくして一帯は魔法によると思われる霧に覆われるだろう。急がなければ。

(しかし……どうするかね)
 竜の目標をミスティンキルのほうに向けるにしても、彼はウィムリーフのように華麗に空を跳躍するすべを知らない。やはり力業――おのが身につけた魔導を竜達に叩き込むことが一番だろう。内に秘める強大な彼の魔力は、竜すら打ち倒せる力がある。それは彼自身感じていることだ。まったき“赤”をもってあらわされる自らの色。
 では、赤とはなにか?
(――あの時、おれはこう答えた)
 ミスティンキルは思い出した。龍王イリリエンと対峙したあの時、かの龍王が問うたことを。
(それは――燃えさかる炎だ!)
 そう結論づけると同時に、彼の身体は赤い光に覆われた。当然、竜の視線はウィムリーフから逸れ、こちらのほうに集まった。竜達はその身を翻し、威嚇の声を上げながらミスティンキルに向かってきた。

「炎よ!」
 言うと、ミスティンキルが真上へ振りかざした右の手のひらには、勢いよく燃えさかる炎の玉がひとつ出現した。あまりの熱さに彼は顔をしかめるが、間髪入れず、それを竜にめがけて投げつけた。
 竜達も、今度はそれに当たるまいと避ける――が、火の玉は意志を持つかのように竜を追撃し、そして当たった。
「さあ燃やせ!!」
 ミスティンキルが念じると火の玉は主《あるじ》の命令に呼応するように猛威をふるいだした。すぐさま竜の躯全体に火勢は広がっていく。“鋼より強固”とうたわれる竜の鱗が溶けはじめる。炎はそれをも巻き込んであちらこちらで爆発を起こす。何という火力だろうか。もはや竜にはなすすべがない。轟々と燃えさかる火焔のなか、声をかぎりに哭き叫びながら竜の躯はぼろぼろと崩れ落ちていった。

 残った二匹の竜はしかし、怖じけることなくミスティンキルに熾烈な攻撃を仕掛けてきた。ミスティンキルは紙一重で攻撃をかわしながら逃げる。やがて一匹は上方から、もう一匹は下方からミスティンキルに迫る。獲物を目前にして、二匹の竜はそれぞれ火の玉を打ちはなつが、それらはミスティンキルが本能的に展開した炎の盾によってあっけなく消し去られた。ミスティンキルのほうが一枚も二枚も上手だった。
 そして竜達は知らず知らず、ミスティンキルの意図する配置にはまった。
「これで終わり――だ!!」
 ミスティンキルは両腕をかざす。と、彼の前方を守っていた炎の盾が形を変える。先ほどよりもさらに大きな火の玉が二つ、竜の前で具現化した。急に出現したそれを見て竜は攻撃を躊躇し、その場に押しとどまった。
(なんとなく分かってきたぜ! 火よりも“こっち”のほうが強いだろう!)
 要領を得たミスティンキルは火の玉に命じる。と、それまで火の玉だったものは炎を象るのをやめた。転じて、真紅にきらめく珠となったのだ。これはミスティンキルの内包する魔力そのものである。
 混じり気のない純粋な“原初の色”。それを顕現させたものこそがもっとも強大な力を持ち得る。ミスティンキルは頭で理解せずとも本能をもって悟ったのだ。己が制御できる一番大きな“力”とはなんであるかを。
 その産物がこの赤い珠なのだ。

【ここまで使うというのか、人間が……】
 ミスティンキル達には見えないところで、蒼龍アザスタンはその目を細めるのだった。

 ミスティンキルの一念により、赤い珠は竜めがけて矢のように素早く発射された。竜達が身を守るよりも早くそれらは竜の胸部に到達し――いともたやすく竜の躯を貫通した!
 この恐るべき一撃で竜達は瞬時に絶命し、眼下の海へと墜ちていった。
 戦いは終わった。
 霧が濃くなり、ミスティンキル達の視界はついに閉ざされた。

◆◆◆◆

「やったわね! ミスト!」
 真っ白な濃霧の向こうから、ウィムリーフの賞賛の声だけが聞こえる。
 ミスティンキルは、ほうと一息ついた。魔導を行使してから今まで、息をするのを忘れていたのだ。気づくと、身体を覆っていた赤い光も消え失せていた。
「“竜殺し”――ってか。おれ達もたいした英雄になったな! ウィムよう。この霧を打ち払って、今度こそ島に上陸するぜ!」
「分かったわ。今、消し去るからね」
 ウィムリーフは風を起こし、辺り一面の霧を打ちはらった。
 すると――

「ウィム――!!」
 今まで気づかなかったのだが、あろうことか新たに二匹の竜が、彼女の眼前にまで迫ってきていた! ウィムリーフは驚きのあまり身体が固まってしまい、何も対応できない。
 二匹の竜はさきの竜達よりも年長で、彼らがことごとく敗れ去ったのを知って復讐のためにやってきたのだ。霧に隠れて老獪にも音を立てず、気取られないようにしながら。
 反撃する時間がない!
 龍《ドゥール・サウベレーン》の業火ではウィムリーフまで巻き込まれるし、ミスティンキル自身はようやく攻撃の態勢を整えようとしているが、とても間に合わない――。
 竜は腕を伸ばし、鋭利な爪で必殺の一撃を与えようとしている。
 ウィムリーフは目を閉じ、体をすくめた。
 ミスティンキルも覚悟を決めたそのとき、それは起きた。

 カッと、ウィムリーフの身体がまばゆく光り輝いた。次の瞬間には大きな青い氷柱のようなものが二本、彼女の身体から出現して二匹の竜の巨躯を貫いた。竜の躯は青い光に覆い尽くされ――そして跡形もなく霧散した。

◆◆◆◆

 ミスティンキルは我に返った。大きな力を持つ四者によって竜はすべて打ち倒され、戦いは終わった。それにしてもウィムリーフの顕現させた力は明らかにミスティンキルの魔力を上回っていた。やはりウィムリーフも自分と同じく、月の世界で魔導のすべを取り込んだのだろう。彼は結論づけた。

「終わったの……ね?」
 おずおずとウィムリーフがたずねる。自身が最後の二匹の竜を討ち滅ぼしたことに釈然としない様子がうかがえた。
「ああ」
 ミスティンキルは彼女のところまで飛んでいき、手をさしのべた。
「行こうぜ。陸地がすぐそこにある」
 新たな竜討伐の伝説が書き加えられ、今度こそ戦いは締めくくられた。

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