『赤のミスティンキル』

 以降、『赤のミスティンキル』に関する史料や伝承は、公《おおやけ》のものとしては後世に残されていない。
 魔導を復活させたミスティンキル。彼がこの後、どのような人生を送ったというのか。断片的に残されている蒼龍アザスタンや宵闇の公子レオズスの記憶を元に、ここに著述する。
 しかしながら――アリューザ・ガルド世界が緩慢たる滅びの時――“永遠の黄昏”を迎えた今なお、大いなる謎として残る“忘却の時代”。これについて知る手がかりは、永遠に失われたままである。

§ 第三部 あらすじ

(一)

 ミスティンキルが自我を再び取り戻したのは、オーヴ・ディンデでの魔導暴走から二年を経た秋のことだった。
 それまでの間、彼はフェル・アルム島で漁師をして生活していたのだが、自我を取り戻した今の彼は覚えていない。彼の意識は、世界と自分が繋がる直前――ウィムリーフが魔力によって消し飛ぶところで途絶えていたのだ。
 ミスティンキルは呻き、怯え、恐れおののく。そこにはかつての自信に満ちた“炎の司”ミスティンキルの姿はなかった。

 恐慌状態に陥ったミスティンキルは、人の姿をとったアザスタンによって助け出された。この二年間、アザスタンは人として生き、ミスティンキルの住む漁師の村の近隣で、彼の様子を見守っていたのだ。
 ミスティンキルは、ハシュオン卿の館でエリスメアの手当を受ける。意識が戻った時、彼を囲むようにアザスタン、ハシュオン卿、エリスメアに、ハーンがいた。

◆◆◆◆

 ミスティンキルはしばし、館で静養する。ただし彼の精神は平穏ではなかった。ウィムリーフが消し飛ぶ姿が何度も何度も目の前に現れる。その度に彼はうずくまり、泣いた。彼は独りぼっちなのだ、と絶望した。
 ミスティンキルは自らの命を絶とうともしたことが何度もある。しかし、できなかった。アザスタンいわく、龍の誇りがミスティンキルの血として流れているからだ。龍は自ら望んで死を選ぶことなどない。それを知ってミスティンキルは深く落胆し、自らの内に閉じこもるのだった。
 半ば感情をなくし、心を閉ざし、絶望の淵に立つミスティンキル。その彼を支えるのはエリスメアだった。半年、一年と、ミスティンキルと真摯に向き合い、治療することで、彼は心を取り戻していく。

(二)

 ミスティンキルの心身が安定した頃、ハシュオン卿は館にアザスタンとハーンを招いた。
 彼らによって、あの時、ラミシスの島で――メリュウラ島と、ウィムリーフが命名したあの島で何が起こったのかが静かに語られた。

 激しい魔力のぶつかり合いと、オーヴ・ディンデに仕掛けられた魔法の発動によって、島のあらかたが吹き飛んだこと。
 間一髪、ハーンたちがミスティンキルとアザスタンを見つけ、救ったこと。
 ウィムリーフの姿はなかったこと。
 魔法の暴走によって空間がゆがみ、ハーンは神族としての力を使って、島のあった領域を閉じ込めたこと。
 しかし神として世界に干渉しすぎたため、ディトゥア神族の長イシールキアから当面の干渉を禁じられたこと。
 ミスティンキルはハシュオン卿のもとに届けられ、卿の指示によって近くの漁師の村がミスティンキルの住まいとしてあてられたこと。その際、アザスタンが自ら望んでミスティンキルの世話をし、近隣で彼の様子を見守っていたこと。
 ハシュオン卿はテルタージ夫妻のもとに赴き、ウィムリーフの身に起こった委細を告げたこと。
 この二年間は何ごともなく、平穏に過ぎていったこと。

 話がひとしきり終わったところで、ミスティンキルはか細い声で問うた。
「おれは、どうすればいいのでしょうか……」
 年老いたハシュオン卿は答えた。
「魔導を、魔法を学ばなければならない。己と向かい合わねばならない。そのためにまず自然の姿を知らなければならない。私がそなたを導こう。ミスティンキルよ、臆せず付いてくるのだ。魔導を復活させた者として、今後は正しき道に則って世界の秘密に触れていかなければならない」

◆◆◆◆

 こうしてミスティンキルはハシュオン卿を師として、魔法使いの心得を学び始めるのだった。しかしミスティンキルは、彼自身が封じてしまっているのか、魔法がまったく行使できなくなっていた。
 ハシュオン卿は彼に、身近にある魔力を感じ取れと告げる。今までミスティンキルは何も知らないまま、魔法の頂点、極致に至っていた。いずれそこへまた辿り着くために、まずは魔法使いとして知るべき世界の有り様から、正しく理解せねばならないのだ。それはとても時間がかかることだ。だがミスティンキルは口答えや反発などせず、素直に従った。彼の不遜な態度はなりを潜め、人として成長したのだ。そのために失ったものもまた大きかったのだが――

 人の姿をとったアザスタンは、館の離れに一人住まう。
  ――私の目の代わりとなって、あの者達の紡ぐ物語の行く末を見届けるのだ――
 龍王イリリエンよりの命を遂行するために。自らの探求のために。友人のために。

(三)

 ミスティンキルは、ハシュオンと共に野山を歩き海を渡り、自然のあるがままの姿を学ぶ一方、エリスメアから魔法の基礎を教わった。彼女はハシュオンの館の近くに学校を設け、魔法学を教えているのだ。学校の長はハシュオンが務めている。
 一年も経つ頃には彼はごく初歩の魔法を行使できるようにまでなっていた。

 ある時、ミスティンキルはハシュオンに訊いた。
「我が師よ。かのスガルトが弟子、フィエルが目論んだこととは何なのでしょうか」
 ハシュオンは長考したのち、口を開いた。
「私とて容易に分かるものではない。魔法使いが目指す頂きは、すべての“色”を合わせ、“光”を作り上げること。だが、おそらくその魔女が目指したものはそこではないのだろう」
「ではやはり魔導王国の復活? それとも不死の研究でしょうか」
 ハシュオン卿はかぶりを振った。
「それを知ったところで私たちに影響を及ぼすものではない。それよりも今は、君が為すべきところを為さねばならない。勉めを続けなさい」

(四)

 エリスメアの魔法学校にも多くの魔法使い見習いが集まるようになり、ミスティンキルは彼らとともに勉学をするようにもなった。ミスティンキルの行使できる魔法は大したものではなかったが、素養は頭抜けていた。ミスティキルは世界の本質を見抜けるほどに成長を遂げていた。学校の誰もがミスティンキルの才能をもてはやしたが、彼は悲しそうな目をするだけであった。

◆◆◆◆

 ミスティンキルもエリスメアも、お互いに心惹かれているのが分かるようになった。だが、ミスティンキルはそれ以上彼女の心に近づくのを良しとはしなかった。彼の心の中は今もって、ウィムリーフへの想いが占めていたのだから。

◆◆◆◆

 長寿のエシアルルであるハシュオン卿にも死期が近づいていた。ハシュオンとエリスメアはミスティンキルを招き、彼の奥底に秘めている赤い魔力、魔導について話し合いを幾度となくおこなった。それは根気の要ることではあったが、ハシュオンたちにとっては知られざる魔導の知識をもたらし、ミスティンキルにとっては自身の魔法回路の接合を促すものとなった。
 ある時、ふとミスティンキルは気づいた。彼が再び魔導を行使できるようになっていることを。それを行使するにあたっての正しい知識はすでに習得している。
 ハシュオンは彼を“魔導師”と認めた。一方エリスメアは、魔法・魔導を語り継ぐ者、ウェインディル・ハシュオンの後継者として正式に認められた。

(五)

 ほどなくして、ハシュオン卿は死出の旅に出た。
 彼の葬儀は慎ましやかに執り行われたが、フェル・アルム国王、世界各地の魔法使いなども参列した。ハーンやテルタージ夫妻(ウィムリーフの両親)、アザスタンの姿もあった。
 そこではじめてミスティンキルはテルタージ夫妻と会い、詫びた。自分がしっかりしていれば、ウィムリーフを失わずに済んだかもしれないと。夫妻はそれを受け入れ答えた。
「時間は逆行するものではない。それは摂理に反している。だからあなたは、私たちも、あの時あのようにしていれば、と過去に囚われてはならない。……娘は良い人と共にあったのだ。自信を持って進みなさい」
 それを聞いたミスティンキルは滂沱した。

◆◆◆◆

 葬儀は終わり、ハシュオンの館は静寂に包まれる。
 と、突如ミスティンキルは身を引き裂くような激痛に襲われる。あろうことか、かのフィエル・デュレクウォーラの核たる魂は、ミスティンキルの中に隠れ潜んでいたのだ! これまではハシュオンの魔力の影響で顕在化することがなかったが、時節の到来を知った魔女はミスティンキルの身体を乗っ取ろうと力を発揮する。
 ミスティンキルの必死の抵抗も空しく、彼の身体はフィエルのものとなってしまった――

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