『悠久たる時を往く』 終焉の時、来たりて

――時が全て流れ落ちて空《から》となった、世界の最果てにて――

§ 終幕. 時のいや果て

 冥王ザビュールと英雄イリーカ・イェンヒリエル。
 超常たる決戦の果てに“負”なる球体に飲まれた二者。彼らは肉体を失い、やがて球体から排出された。
 曖昧模糊《あいまいもこ》とした空間の中、二者は在った。
 そして――もはやアリューザ・ガルドからは遠く離れたこと、今は意識のみが存在していることについて絶望し、そののち理解した。

◆◆◆◆

 ややあって。言葉を発したのはイリーカだった。
「……冥王よ」
 その弱々しい声色から、かつての毅然とした英雄像など微塵も感じられない。彼女は年相応の少女に戻っていた。
「“冥王”はよせ、イェンヒリエルよ。今の我らにとって、そのような肩書きなどまるで意味をなさなくなった。神も人もない」
 イリーカはまだ納得できずにいる。対するザビュールは余裕の体《てい》だ。
「いいかげん認識せよ。我らがいるここは時の至る所。世界の終わりだ。他には何もない。護るものも、我らが為すこともまた、無いのだ。元の時代には戻れん」
 ザビュールは断言した。
「なぜ、こんなことに……と言っても、どうしようもないのね」
「とんだ横やりが入ったというのもまた、運命なのだろう。我らの戦いにより世界が破綻を来すのではないかと、危惧した世界が我らを排除したのやもしれぬな」
 ザビュールは続ける。
「だがそのために、我らは世界の極限を目の当たりにしているのだ。この領域にはいかな超越者とて到達できるものではない。――見よ。あれなる一点がミルド・ルアンそのものだ」
 ザビュールが指し示す先、あやふやな空間の遙か彼方には極一点の際立つ存在があった。それこそが世界のはじまりたる“超存在”ミルド・ルアンである。
「思い出せ。我らが“負”の球体の中にあったときのことを。共に夢を見たであろう」
 イリーカは同意した。
「我らは幻を見た。もしくは啓示を受けた。ミルド・ルアンから始まり、ミルド・ルアンに終わる歴史の流れの、な」
「ではここは、世界の終わり……」
 ザビュールは肯定した。
「左様。我らは“実《じつ》”――超存在たるミルド・ルアンから生まれ出でた存在だ。世界は実体を以て形成され、そこから数多に枝分かれした。“秩序”も“混沌”も、もとは同一であった。我らは皆、最後にはあの一点に集約され、実体世界は終わるのだ」
「では私たちの目の前の“これ”は? まるで把握できない“これ”はなんだというの?」
 イリーカが見据える一点には、何ものにも形容できない異質な「なにか」が存在している。視るという意識を集中させると、急に盲《めし》いたように感じられる、名状し難き“それ”は――

◆◆◆◆

「――それは“虚《きょ》”だ」
 親しげな声が、イリーカの真横から聞こえてきた。
「まさか……レオズス?! “宵闇の公子”……」
 レオズスは微笑んだ。
「その二つ名は今や意味をなさない。僕ももはや意識のみの存在だ。実体はない」
 英雄イリーカが操る二振りの剣。ひとつは聖剣たるガザ・ルイアート。もうひとつは宵闇の剣ファランデュエル・レオズス。ディトゥア神族のレオズスがその身を変えた剣だ。だが剣としての概念を失った今、レオズスの意識が表層化した。
 レオズスは語る。
「訳が分からないのも無理はない。“虚”は僕らにとっては全く得体の知れないもの。相反するもの。自然の摂理と逆相をなすものなのだから」
「“虚”と“実”がここにあるのだな。ならば状況に合点がいった」と、ザビュール。
「二つは相反するけれど、常にあるものなんだ。“虚”も“実”も、同一の時空に重なって存在している。ただ、見方が違うだけ。“実”に属する僕らからは“虚”をとらえることはできない。アリューザ・ガルドで起きた不思議な出来事のうちいくつかは、あの“虚”が、こちら側に顕現してしまったため起きたものだ」

◆◆◆◆

 イリーカは閃いた。
「もしかして、“忘却の時代”というのは――」
「察しがいいね。夢うつつで僕らが視たとおり。“虚”がアリューザ・ガルドに出現し、数百年間も安定してしまっていたのさ。歴史書は言うに及ばず、神々の記憶にすら残っていない空白期の、これが真実だ」
 レオズスは続ける。
「逆もまた真なり。向こうの“虚”の世界でも、そこの住民にとって謎だらけのことが起こったかもしれない。それは“実”が、あちら側に出現してしまったからだろうね」
「向こう側にも世界があるというの?」
「ある。僕らの世界とは真逆の世界だろうけどね。なにせ虚数の世界だ。およそ僕らには想像もつかないよ」

「それだけではない。世界は無数に存在する。アリューザ・ガルドの夜を……満天の星を思い出せ。あれらは全て、他の世界が放つ煌めきなのだ」
 ザビュールが語った。
「私はいくつもの世界を目にしてきた。ミルド・ルアンから分かれたアリュゼル神族は諸次元を渡り歩き、アリューザ・ガルドへと帰還した」
「他にもあるね。四つの事象界に“月の界”。“魔界《サビュラヘム》”なんかも次元の異なる世界だった」
 レオズスが補足した。
「……ただ、“幽想の界《サダノス》”だけはよく分からない。死後の魂がどうなるのかについてはお手上げだ」

◆◆◆◆

 三者は、静かにたたずんだ。
「今のこの状態は……これからどうなるというの?」
 イリーカが沈黙を破った。
「本当の終わりを迎える。“虚”と“実”が合する――すなわち、相反する存在が一つとなる。正と負が打ち消し合って消滅し、世界は無へと還るのだ」
 ザビュールが語った。
「……落ち込むな、イェンヒリエル。万象等しく終《しま》いとなるものではない。無数の世界はいまだ続いている。この世界にしても、いずれ無から再び“虚”と“実”が分かれるときがあるだろう。それは連綿と、絶えず繰り返されてきたのかもしれぬ」
「それでも私たちのアリューザ・ガルドには戻らないのね……」
 イリーカは衝撃を隠し得ない。
「ことごとく、遅かれ早かれ物事は移ろいゆくものだ」
 ザビュールは告げた。

◆◆◆◆

「では私たちはどうすれば……?」
「僕らは“虚”と“実”双方から外れた域にて存在している。それこそ有り得ないことだ。だから今の状態は長続きしない(時間の果てで言うのもおかしな事だけれど……)。イリーカ、君はどうしたい?」
 レオズスが問いかけてきた。
「選択権は我らにあるということか。我らは“負”の球体に飲まれた時点で、摂理から外れた存在となったのだな」と、ザビュール。
「私は……できることならもとの時代に戻りたい。けれどそれが叶わないのであれば……」
 イリーカは言葉を紡ぐのを躊躇《ためら》いつつ、それでも言い切る。
「私はアリューザ・ガルドの住民。だから、ミルド・ルアンのもとへ行くわ。“虚”と合わさって無になるとしても……」
「正直なところ、僕も過去に戻りたいよ。歴史について新しく知ったこと、マルディリーンに教えたいけれど……叶わないね」
 やれやれと、レオズスはわざとらしくため息をついてみせた。
「“虚”の世界に赴くというのも一興……」と、ザビュールはほくそ笑む。イリーカとレオズスは言葉を失う。それに感づいて、ザビュールは答えた。
「だが私は望まぬ。アリュゼルの皆がおる、ミルド・ルアンへ還ろう。今度は“魔界《サビュラヘム》”など創らぬよ。過ちを繰り返す愚は犯したくないものだ……」
 ザビュールの気配はそこで消えた。

◆◆◆◆

 漠然とした空間に残されたのはイリーカとレオズスの二者となった。
「……彼は行ったね」
 感慨深げにレオズスは言う。畏れられた冥王も、最期には憎しみの衣を剥ぎ取り、アリュゼル神族のザビュールに戻ったのだ。
「私たちも行きましょうか。最後に、また貴方に会えるとは思ってもみなかったわ。剣ではなく、意識を持った貴方に」
 イリーカは微笑んだ。

 かくして、第二紀アリューザ・ガルドの物語は全て幕を閉じる。

『悠久たる時を往く』終焉の時、来たりて 〈完〉

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