『悠久たる時を往く』 分かたれた大陸の世

§ 十一. 諸国の時代

諸勢力の勃興と、安定。“失われた大地”の帰還。

 アズニール王朝崩壊後から現在に至るまでの“諸国の時代”は、バイラルの各氏族・諸侯が勢力を争っていた時代である。幸いにも魔物の動向については、いちおう沈静化しているようだ。

[アズニール暦400年代後半~500年代]

 アズニール王朝崩壊により、王朝の有力諸侯は挙兵し、互いの勢力を伸ばすための戦いが繰り広げられた。
 初期の段階では、二つの大きな派閥に分かれての争いであった。“魔導の暴走”をもたらした原因が魔導師であるとする旧アズニール王朝派と、魔法使いや魔法貴族を擁護する新興勢力との戦いである。
 魔導の力が封印されたこの時代において、魔法使いにはかつての力はなく、彼らの多くは上記のような争いに巻き込まれるのを嫌い、歴史の表舞台からひっそりと消え去った。
(魔法使いを擁護する、という主張は、権力志向の強い貴族達による形骸化した大義名分でしかなかった)
 五十年近くの攻防の果てに、エヴェルク大陸の諸勢力は次頁のとおりの六大勢力に取り込まれ、しばし膠着状態となる。

 戦乱を逃れる人々はカダックザード地方へと移り、ティレス王国を建国。このティレスは、広大な領有地域に相反して国力はさほどでもないが、建国以来六百年の歴史を、血なまぐさい争いとはほぼ無縁に送ることになり、いつしか平和の象徴とも呼称されるようになる。

 旧アズニール王朝勢力は戦乱の果てにかつての王都ラティムから撤退、ドゥータル地方を中心とした地域に拠点を移さざるを得なくなった。
 エヴェルク大陸中央部において最も勢力を誇ったのはクウェアルディンであるが、王都ラティムや聖地イルザーニ地方の占有を巡って、サルドゥエイルやズウェイアといった有力勢力とにらみ合い、時には剣を交えていた。

 ユードフェンリル大陸においては、アントス家の末裔と称するアイズウェン・アントスがいち早く諸勢力を抑え、廃墟と化したガレン・デュイルを復興し東方イクリーク皇国を建国。これによりユードフェンリル大陸は統一され、戦乱のさなかにあるエヴェルク大陸と対照的に、しばし平和な時代が到来した。

[600年代~800年代]

 この時期は、イクリーク皇国の繁栄と没落の歴史ともいえる。
 582年のユードフェンリル大陸統一後五十年ほど、東方イクリーク皇国は国内の安定化に努めた。国内の情勢が安定すると、ユードフェンリル大陸東部の未開地域を開拓。この地に住まう悪鬼や怪物などに悩まされながらも、版図を拡大させた。
 次に皇国は、エヴェルク大陸へ軍を進める。相も変わらずにらみ合いを続けていたエヴェルク諸勢力は一時休戦し、皇国に抗戦することになる。
 しかしながら皇国の国力は圧倒しており、655年にクウェアルディンが皇国のもと剣をおさめると、リギンも同調した。
 なおも反発するサルドゥエイルはズウェイアと“強い意志のもと”結託、旧王都ラティムとイルザーニ地方の守護という名目でイクリーク皇国に対抗した。

 サルドゥエイルにすら反発する一部のズウェイア勢力は、シャルパ地方にファグディワイスを興した。この地域はそれまで、正統アズニール王朝が占有していたため、当然ながらファグディワイスとアズニールとの間に戦いが勃発することになる。

 800年代に至るまで、アリューザ・ガルド主地域を治めたイクリーク皇国であるが、800年代にはその繁栄にも翳りがみえはじめた。エヴェルク大陸側ではサルドゥエイルの侵攻が再度活発となっていた。さらにユードフェンリル大陸側においては国力が分断。アントス皇とマイロウル皇の分割統治となり、国内情勢は混乱を迎えた。
 乗じて、イクリーク国内でも反発勢力が兵を挙げ、皇国は二つの大陸双方に敵を有するかたちとなった。
 さらにイクリーク皇国に追い打ちをかけるように、“黒き災厄の時代”以来、ナルデボン地方の地下で眠っていた魔族ゲハンクェムが覚醒した。皇国はこれを倒すために戦力を割かざるを得なくなり、結果として対抗勢力が大きくなるのを黙認するかたちとなってしまった。

[900年代~1000年代]

 最初にイクリーク皇国の勢力を削いだのは、エヴェルク大陸のサルドゥエイルであった。910年、フィレイク地方に侵攻したサルドゥエイルはこの地にフィレイク王国を興し、イクリーク勢力を一掃した。フィレイク王国の王都は海に面したファウベル・ノーエである。

 エヴェルク大陸の他勢力についても変化があった。
 908年、ファグディワイスは“ディラクネルの海戦”にて正統アズニール王朝をうち破り、エヴェルク大陸南部域において宗主国となった。ファグディワイスの王都は、ドゥータル地方のヒェルティンレヴに遷都された。
 ファグディワイスとフィレイクは不可侵の同盟を結び、各々の国家において商業を繁栄させていくことになる。また、フィレイクはサルドゥエイル時代に占拠していたイルザーニ地方から撤退、セルアンディルにとってのこの聖地を“いかなるものにも属すことのない開かれた地”とした。イルザーニ地方はその後エヴェルク大陸陸路の貿易要衝となり、大都市カルバミアンは大いに栄えることになる。
 ティレスはこの時期、国内の勢力が二つに割れていたが、強硬派のサイジェム将軍によりイイシュリアが建国された。強兵を誇るイイシュリアにティレスは手をこまぬき、隣接するフィレイクは国境に兵を置いて警戒を強めた。
 ラデルセーン地方においては、小勢力がまとまり、エニルグ王国をつくりあげていた。

 フィレイク軍によるエヴェルク大陸からのイクリーク撤退を受け、910年にユードフェンリル大陸ではとうとう内戦が勃発、長いこと統一されていたユードフェンリル大陸は諸勢力による戦乱の時期を迎えた。
 1000年代初頭には勢力図は安定化し、マイロウル朝を継ぐアルトツァーン王国と、都市共同体が集約したメケドルキュア王国の二つが興された。アルトツァーンの王都はガレン・デュイル、メケドルキュアの王都はイストゴーアである。
 マイロウルの長子カストルウェンと、イストゴーア市長の息子レオウドゥールは旧来より親交が篤く、二人の少年期にはユードフェンリル大陸南部のラミシス遺跡やエヴェルク大陸の世界樹を訪れるなどの冒険行を重ねていた。
 そのため二つの王国はとりたてて互いに反目することなく、平和のうちに境界線が定められた。

 こうして諸勢力が安定化しようとしていたとき、大きな事件が起こる。
 それこそが魔導の時代の末期“失われた大地”となったカダックザード地方南部の“還元”である。

 1056年の夏のこと。その日、にわかに空には暗雲たれ込め、大地震と、天を轟く雷がアリューザ・ガルド全土を襲った。
 その地異が過ぎ去った後、忽然と姿を現した島こそがフェル・アルム島であったのだ。
 “還元”に際して多くのことが起きたが、ここではそれら一つ一つを言明しない。『フェル・アルム刻記』をご参照いただきたい。
 (けして忘れてならないのは、フェル・アルム還元の際、太古の“混沌”の欠片がほんの一時であるもののアリューザ・ガルドに現前したという事実である。それまで存在そのものに疑念がもたれていた“混沌”が実在することが明らかになったのだ)

 当初、魔物の棲む島として敬遠されていたものの、独自に王国が築かれているのが判明すると、ティレスはフェル・アルムと国交を結んだ。一方でイイシュリアは1058年、フェル・アルムの制圧に乗り出すが、フェル・アルム女王サイファ・ワインリヴ指揮のもと、かの国の精鋭騎士団“烈火”により退けられる。
 この戦いの後イイシュリアは国内外からの反発を買い、1059年にはティレスに併合されることになる。
 フェル・アルムから大陸に渡る者も多くいたが、その中で著名な人物にテルタージが挙げられる。彼ら夫婦は冒険家としてアリューザ・ガルドを巡り、とくに著書『天を彷徨う城キュルウェルセ』にある冒険行は、広く世に知られることになる。

[現在]

 時に1100年代となった現在、アリューザ・ガルドは安定化しており、特に大きな変動はない。現在のバイラル情勢図を下に記すことで、ひとまずアリューザ・ガルド史の編纂を締めくくることとする。

追記

 ディトゥアの同胞たるマルディリーンがこの書を書き上げてから、人の世では早くも二百年の歳月が流れた。もちろんその間、この本には記されていない多くの出来事があった。
 例えば今私が眺めている魔導塔にしてもそうだ。魔法は再びアリューザ・ガルドに復活したのだ。
 それに諸国家の情勢にも変化が生じた。
 アリューザ・ガルドの趨勢は、とどまるところがない。だからなのだ。私がマルディリーンに請うて、彼女の記した書の写本を手にし、ここアリューザ・ガルドにいるのは。
 運命を切り開くのが人間の担う役割であればなおのこと、歴史はできるだけ多くの人間が知るべきだ。私は旅を続けながらこの写本を各地に残していくつもりだ。歴史は世の終わりまで完結することがない。これからも多くの歴史家が諸事を書き連ね、吟遊詩人が詠っていくことだろう。

 そして私もまた楽器をつま弾き詠おう。少しの酒をともにして。
 ――休まぬ風は、全ての事象を聞いてきた――

魔導塔の全貌が見渡せる丘にて 宵闇の公子 レオズス

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